ブログやsnsに絵を上げるということについて
上手く描かない
上手く描こうとするのではなくて、いい感じに描こう。
上手く描こうとすると何を描いたって不安が付きまといませんか?
それはうまさ至上主義だからです。上手く描くというのはあくまでツールなのです。
本質は表現なのです。自分の感じを表現するためなのです。そのために、水彩ペンを使い、資料を見、手を動かすのです。この意気込みによって絵を描く事に喜びを感じることができます。
だからいい感じに書こうとしましょう。厳密なものは何一ついらないはず。
上手く描けることに憧れすぎて、絵というものを捉えられなくなったので、これからは感じで描こうと思います。
感じで描くとはどういうものか
頭でいいなぁと感じたものをいい感じで描く。かっこよさ、かわいさを追求する。
丁寧さとかは気にしない。
いろいろな描き方をしてみる。上手く描こうとしない。むしろ下手に描こうとする。
自分のこだわりを持つ。自分の特徴を一つ入れる。
とくに
・丁寧に描かないこと
・上手く描かない。自分のいい感じを描く
この2つを意識します。
こうやって絞れば、とても気が楽ですね。頑張りましょうこの2つだけです。
継続は力になるでしょうか
まぁそのー絵を描き始めて2年ぐらい経ちまして、ようやく絵を描かない日を設けました昨日なんですが。
継続は力なりとか、不安とか、毎日書かないと下手になるとかいろんな情報を目にしてきましたから、描かないより何か描かなくちゃという思いだったわけですがいままで。
しかし、まぁちょっと現実が潤って来まして、すこし現実の女の子に愛を注いでいたら描かない不安とかどっかに行きまして、あぁ、不安ってのはつながってんなぁって思いました。
そんなわけで絵を描かなかったわけですが、その期間はちゃんとエモーショナルな感じの絵を見たり想像したりしていて、いろんな絵を描きたくなってきたわけですね。
うん、好きな絵を見るとやっぱり何か描きたくなるんですよね。でもそんな絵描く技術ないので今書けるものに逃げるわけですが。
会社員ってつらくて、時間もないのでモチベーションをあげたり練習したりする時間も気力も体力も確保できないんですね。大変ですね。しかし、もう割り切って上手く付き合うしかないわけですね。
絵を描かない日を設けてとてもよかったです。絵を描くのが無茶苦茶楽しくなります。あと、絵を描くだけじゃダメですね、ちゃんと見て楽しむことをしないとダメです。
それとフェチを増やすのも深めるのも大事ですね。どれだけエモく感じるかが大切です。昔は脚が好きでひたすら模写してたんですが、今はどこが好きっていうブームはないですよねー。
描きたい絵がなくなったら描かずに絵を見る、妄想するというのはすごくいいですね。
車で例えるとガソリンです。そして絵を見るときはひたすら感じること。自分のスキをひたすら感じて体が震えること。これですね。僕は感情が高ぶると涙が出ますが、涙が出たらベストですね。音楽聞いたり、いい映像を見ると涙出るんですが、 あ、映画とか物語で感動するのとは違って、ひたすら気持ちよくうれしい気持ちで泣くんです。
歌うたってるときとか気持ちよくてすぐ泣けるんですけど、絵を描くとき泣けたらやばくないですかw
そうなれればいいですね!とにかく絵を毎日描くということは同時に描かないということを放棄しているわけです。描かないことで養われる部分もあるのではないかと思います。僕はこれから積極的に、描かずに興奮、感情をガソリンみたいに入れる事も意識して行おうと思います!
おんなじことなんかいいってんだ。とにかくうれしかったのです。新たな発見!
dont think. feeeeeeeel
ぶらぶらと趣味な画像眺めてたら描きたくなった。やっぱインプットに比例してアウトプットしたくなるのね。そうかぁ
考えるな感じろってのは今考えるとすごくいい名言だなと思います。
もっと感じる力を高めたいなぁって思います。
これでいいのだ
描いてる最中、遊んでいるという感覚を忘れないために、あそびって書く
思ったこと
自分のしたいことをしないとしんどいということ。
しんどいということは結局何も得をしない。例えば上手くもならないし楽しくもならない。自分の望むもの何一つない。ならしんどいことをしない方がいいじゃん。
でもよくしんどいことをする。やらなきゃって焦って、とてもしんどい気持ちでとりあえずやるけど、そんな気持ちでやって一回も満足したことない。
そのくせ何も得しないなんて、しんどいことしないほうがいいじゃん。
人に自分をよく見てもらいたいと思った時ほど上手くいかない。しんどい。
それは自分がしたいことではないからだ。人の価値観にすり寄っているだけなんだ。
上手いって思われたいとか、すごいと思われたいとか、そういう欲求にはもっと適したアプローチがあるのだ。人づきあいとかそういうコミュニケーションだ。
絵に関しては、それに適していないに、絵でその欲求を得ようとしてはいけないのだ。
それを得れたら楽しい、楽しいんだからそれはそれでいいが、それを得るには大変だ。
そしてどんどんむしばまれていく心なのだ。
私はうまいと思われたい、そんな絵は総じて自分の描きたいものじゃない。
もっと面白い書き方があるはずなんだ。自分の心にド直球に突き刺さるような、絵への快感が絶対あるはずなんだけど、人、人ばっかりで自分と向き合わないとそんなの分からんだ。こういうブログも 少しでも他人を意識してしまうから、自分と向き合う質が著しく落ちてしまうのだ。自分は何が描きたいんだろう、どんな描き方をしたいんだろう。そんな自分への問いかけをないがしろにして、人からの評価、承認を得たいがために絵を描いてちゃ、何のためのペンだ!紙だ!という話だね。
自分と向き合うというのはさみしい時間なんだ 寂しがり屋だから、人の存在を感じていたいと思ってるんだ。でもそろそろ本腰を入れないといけないね。
遊びのつもりで
義務感をなくしたらもっとうまく楽しく描けると思うんだ。
絵を描くなんて遊びなんだから、肩の力を抜いてやりたいです。